JaLIIとは

  
ごあいさつ
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法情報研究センター長
名古屋大学大学院法学研究科教授 増田知子

法情報研究センターの使命と課題
~「プリンシパルとしての国民」のために~

 民主主義社会において、国民が直接、立法と行政をモニタリングすることの重要性は、今日当然のことのように言われています。だが、実際にはどうしたらそれを行うことができるのでしょうか。日本ではたしかに民主主義制度が整備されています。しかし、選挙、パブリックコメント、最高裁判所裁判官国民審査のいずれをとっても、「選挙公報」や関係省庁のHPの情報だけでは、十分な情報を得られているとは言いがたい状況です。「3.11」とその後の政治と行政のあり方は、日本の民主主義制度の実質を追求せずにきた、私自身を含めた戦後社会のあり方を問うものではないかと感じています。
 私の専門分野は日本政治史ですが、最近、プリンシパル・エイジェント論という政治家と官僚の関係を説明する理論に関心を持っています。このプリンシパル・エイジェント論というのは、有権者がプリンシパル(本人)として、選挙で選んだ政治家をエイジェント(代理人)とし、国民(本人)のための政治を行わせるという、国民主権と代議制民主主義の政治に適合的な理論です(注1)。
 しかし、選挙で国民の信託を受けた政治家が、官僚を代理人として政治を行っていく過程において、政治家が官僚を使って私益を追求したり、官僚が政治家を省益のために利用したりと、様々な逆転現象が起こります。プリンシパル・エイジェント関係における影響力が、国民から政治家へ、政治家から官僚へと伝わっていくのではなく、官僚と政治家の間に取引関係が成立してしまい、国民は疎外され、不利益を押しつけられる存在になってしまう、国民主権に基づく代議制民主主義の形骸化が起こります。
 近年政治スローガン化した「官僚支配からの脱却、政治主導の確立」とは、本来このプリンシパル・エイジェント関係における逆転した関係を、正常な流れに戻すものであるべきだったと考えます。しかし、単に政治家がプリンシパル(本人)として利益を得ることを目的に、官僚をエイジェント(代理人)に「追い落とす」ことを意味していたのであれば、国民は不利益を一方的に引き受けさせられる立場から抜け出すことができないことになります。国民が本来のプリンシパルになるためには、やはり冒頭に述べた国民が直接、立法と行政をモニタリングする必要があり、そのためには、国の立法過程と行政の執行過程の情報が透明化され、利用しやすい情報として国民に提供されることが必要になるわけです。
 ところで、その点で注目されるのは、「国民の図書館」である国立国会図書館が、オンラインサービスを飛躍的に充実させてきていることです。HP上に並ぶ立法情報、電子図書館、なかでも日本法令索引、東日本大震災アーカイブス、近代デジタルライブラリーの検索機能はまさに、国会図書館の掲げる「民主主義の発展への寄与」の具体的手段の提供といえましょう。欲を言えば、もしこの「国民の図書館」が「国会議員の政策立案と立法のための図書館」としても十分機能していてくれたならば、同館は、日本の議会制民主主義を機能させる国民と政治家のプラットフォームとなっていた可能性があったと考えます。
 実は、国会と共に創設されることとなった国会図書館をして、国会議員の立法活動に密接に関与させることが、日本の議会制民主主義確立の鍵を握ると考えられた時期がありました。
 周知のことですが、戦後、「国権の最高機関であり、唯一の立法機関」に昇格した国会を運営することとなった政党政治家は、世界恐慌期に国民の信頼を失い、1938年には立法権を自ら政府に白紙委任し、1940年には自ら解党までして戦争に協力した過去を持っていました。明治憲法下の政党政治家と日本国憲法下の政党政治家が同じであっては困るわけであり、ではどうすれば違ったものになるのかという、本質的でかつ具体的な課題が当時問われていました。新憲法の施行にあわせて、日本の法学を代表する宮澤俊義、末弘厳太郎、我妻栄、鈴木安蔵、向坂逸郎による「新憲法と国政の運用」と題する座談会が行われ、次のようなやりとりが行われていました。今日につながる政官関係の問題が端的に語られている点で、大変興味深い内容なので、長文になりますが、その一部を紹介します(注2)。

 鈴木安蔵「日本では議員自身の素質が、そういっては非常に失礼だが、比較的低い、責任の自覚もない。したがって政党自身が法案の立案でも、政策の研究でも、ほとんど十分の準備も機関も持っていない。形の上では国会中心主義というけれども、やはり実際の国政の運用の上では相当官僚が新憲法の下においても今までとあまり違わない勢力を篩(ふる)うというようなことが起こるんじゃないか。」

 末弘厳太郎「私はその点は非常に重要だと思います。実はその点では国会図書館というものに非常な期待を持つのですね。つまりあの国会図書館をほんとうに国会の人および政党の知識の源泉にしなくちゃいけない。図書館というと、ただ本を蒐(あつ)めるもののように思うけれども、本を集めておいたって、今までの経験では、議員諸君はなかなか利用しやしない。だから今度作る国会図書館には是非とも各政党がそれぞれいろいろな法律案の立案とか、政策を樹(た)てるとか、あるいは政府の予算案を批評するとか、そういう資料をほんとうに的確に得られるような資料を蒐めて、かつそれを世話してやるような係を置いてやる。そういう、いわばレファレンス・ライブラリー(参考図書館)的なものにする。結局今までは資料といえば、官僚のところへ頭を下げてもらいに行くよりほかに手がなかった。これは今後も抛(ほお)っておけば続く。私は今議員が勉強してもらわなければならぬと思うし、それから官僚と国会との関係も政治的に考えなければならぬが、一番大切なことは、議員が官僚に頭を下げずに自分で各種の政策を樹てる智慧を自ら国会図書館を通して得られる、そういうものを創らなければいかんじゃないか。」

 鈴木安蔵「内閣法の草案を見ると、依然として法制局というようなものが相当大きい、今と同じような仕事をするつもりで立案されていますね。国会法案中にも法規委員会というようなものができているけれども、議会図書館とか法規委員会の実際の結びつきはあまり明瞭でない。いったい今度の憲法は総理大臣は内閣を代表して議案を出す、という中には法律案も入っているけれども、建前からいえば法案というのは主として国会の方から出るべきだろうと思いますが・・・・・・。」

 宮澤俊義「今度の憲法の建前はまさにその通りなんですね。しかし、今度だって国会法で国会図書館とか、法規委員会とか定めていますけれども、要するにあれはほんとうにそいつを活用するようにならなければ駄目なんで、形だけアメリカのようになったところで、ただ漫然と議員が集まっただけでは法律案を作るということは実際上不可能ですね。だから、そういう点は議会でやるにしろ、政府でやるにしろ、法制技術家が活躍するということは、これはどうしても必要になる。ただそれをさっきいわれたように、議会自身がそういう技術をマスターする、使ってゆく力がなければ議会がどんなに力が強くなったってほんとうの議会政治は行えないのだと思うのですね。
 もう一つ、一般行政の、今まで官僚主義とかなんとかいうことの弊害の一つの原因は、私は日本の行政自身の、何というか、非常に旧式な非合理主義、非能率性にあるんだろうと思う。あれは思い切って能率化、合理化するということが非常に問題で、それができれば結局官僚が独善的になることを議会で抑えることもいっそう容易になる。」

 今から約六七年前に、鈴木安蔵、末弘厳太郎、宮澤俊義らが期待したのは、国会図書館で国会議員が勉強に励み、彼らの政策立案のための調査研究だけでなく立法技術の修得についても、国会図書館が十分機能を果たす、ということでした。そうすれば、国民もまた国会図書館の利用を通じて、議員が作ろうとしている政策と立法情報を得ることができることになります。ただし、そこで重要なことは、単なる情報の透明性ということではなく、どのような情報が透明化されるのか、どれほど利用しやすくなるのかという、情報の質とインターフェースが鍵を握ることになります。
 仮に、情報の質とインターフェースの問題がクリアできていたとするならば、政策立案と立法過程の情報について、国民が国会図書館を通じてアクセスでき、評価、意見を議員にフィードバックさせることも実現できていたかもしれません。そうであれば、民主主義のためのモニタリングが機能し、国民・政治家・官僚におけるプリンシパル・エイジェント関係の本来の流れが生まれていたことでしょう。
 このような想像を交え、法情報研究センターが今日までの活動に加えて新たに取り組む研究の使命と課題について申し述べたいと思います。私は、第二次世界大戦直後のきわめて重要な時期に、法学者たちの期待がなぜ実現しなかったのか、それはおそらく大きな体制転換の動きの中で、法制度がどのように転換されたのか、そこにこの謎を解く鍵があると考えています。換言すれば、「国民主権と民主主義」が国家制度として採用されながら、他方で国民をプリンシパルにしない法制度とその運用があったのではないかという仮説を提示することとします。当然のことながら当時の主要なアクターであるGHQ(連合国最高司令官総司令部)、日本政府、国会をはじめとする立法諸機関がそこに深く関わっていました。
 具体的には日本の占領期(1945~1952年)前後の体制転換と法制度の再構築について、法情報・情報処理研究者と様々な分野の研究者とが共同研究を行うことにより、日本の占領期の改革で何がどのように変わったのか、多角的複合的な視点によって検討していけるのではないかと考えております。また日本の体制転換は、占領改革の「成功事例」として見なされてきたことにより、現代世界においても重大な影響を与えています。日本の体制転換について、政治・外交・経済等の研究によって様々な法制度に関する情報を集積し、先端的情報処理による複合的分析を行うことにより、あらたな輪郭をもった日本と世界の変化を描く可能性が開けるのではないかと考えております。
 名古屋大学大学院法学研究科附属法情報研究センターは、こうした今日的課題の解明に少しでも貢献できるよう取り組んで参りますので、今後とも、皆様のご支援とご協力をお願いする次第です。

(注1)M・ラムザイヤー、F・ローゼンブルス共著、加藤寛監訳、川野辺弘幸・細野助博共訳『日本政治の経済学―政権政党の合理的選択―』、弘文堂、1995年、1~2頁。
(注2)『改造』1947年6月号(『憲法の100年・3・憲法の再生』作品社、1989年、123~125頁、所収)。

 
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